ずっと暗い洞窟の中にいると、人は気分が暗くなってしまうものです。自然と周りの景色に合わせてしまうからです。希望をもって人生を生きていると、必ずゴールがあると考えてしまいます。意外と人生に明るい光がさすことはないですが、暗いよりは明るいところの方がいいに決まっています。

明るい方とは、日中を意味していて副交感神経を存分に働かせて良い場所です。しかし、まだ暗いところがいいと考えている自身に気づきます。疲れている、だるいなど身体が健康でないと暗い洞窟の中にいるように、時間が止まっているものです。まだ、眠っていたいからなのかもしれない。暗くて静かで穏やかな場所でゆっくりしていたい、きっともう少し休んだ方が良いのでしょう。副交感神経が存分に働くことで暗い中で存分にゆっくりと休むことができます。休みに休みぬいた後、あなたはどうなっているでしょう。いい加減明るい方で思い切り働いて行動して健康に生きたいと考えるものです。明るい方と暗い方で考えると今の自身はどっち側が好きかを素直に考えれば、おのずと答えは出てくるものです。

生活リズムのバランスを崩すと体調が狂い、暗い方が好きなのに明るい方だったり、明るい方が好きなのに暗い方だったり、チグハグして精神がこんがらがる事があります。脳と体が常に一緒であれば、意識が狂うこともありません。治すには軽い汗をかく程度の運動をすれば大抵は治ります。社会感はモラルが大事で、倫理は仕組みづくりを改める内容です。大事なことは、どのように自身の社会感を統治するかです。年齢と共に、社会を踏まえていなければ世間の在り方に順応できなくなってしまうので、意識と身体は、社会に身を預けて生きている。健康に、安全な人間関係で生きていけるために出来ることを、常に考えて、知識を高めることは必要です。

北海道というのは、かつてアイヌ民族が住んでいて、江戸時代から住んでいる道南エリアもある中で、ロシア、中国も近隣諸国となっているので、クォーターと呼ばれる4分の1アメリカ人の人もいるので、文化の違いに感性や感じ方に日本として違和感に似たものを感じることがあるので、柔軟に対応していかねば、翻弄されてしまい苦労してしまうことがあるものです。対処法としては、外国旅行に行けば現地の状態を考えて対応できるのでいいですが、同じ土地で育つと分かるはずなのですが、意地の面がやはり、人類史の歴史的違いを考えると、国々の歴史をしっかりと知って理解していなければ、普通に教養として意識が合わなくなってしまうように感じるものです。

国境を境に言葉が異なるので、感じ方捉え方の部分で距離があります。男と女では全く異なりますが、男はポリシー、プライドなどで難しい部分があります。騎士道と武士道は剣の道として国として異なってはいるが、精神誠意分かり合おうと真剣に向き合った考え方において言える事です。武士道は日本精神の救済である。「勇」いかにして肚を鍛錬するか。「仁」人の上に立つ条件とは何か。「礼」人とともに喜び、人とともに泣けるか。「誠」なぜ「武士に二言はない」のか。「名誉」苦痛と試練にたえるために。「忠義」人は何のために死ねるか。全ては武士道という美徳があれば病む必要はないのではないかと考えている。

例え、自身の目的意識が破れようと敗れまいと。武士道は騎士道の規律である。武士道と聞くと死ぬまで己を追い込んで磨く己自身の戦いという意味を感じますが、現代社会を考えると、豊かさが無ければ意味がありません。つまり豊かさを存分に感じ取れた上に武士道の社会に身を投じているといういきさつになっている。元々、武士道国家を作るために日本は多額のお金を投じているという歴史があります。世界には騎士道と武士道以外に戦って城を築く歴史は建国をする人間の輝かしい功績として尊重されている古い心構えと言えます。世界を破滅さえさせなければ、人間の国家は文明を栄えさせ、未来存続を願って進化しているものと考えられる。

たった一つ一本の記憶につなぎ続けて学びえた知識、学びの総合たる未来の発展を願い生き抜いて子孫を存続してきた歴史を走馬灯に武士道という道で人生史を紐解いた方法を、あなたならどう考えますか。辛くとも厳しい人徳の積み方は、恵まれた現代の中で忠実に再現するには、死が付きまとうほどの厳しさを経て北海道大学は、新渡部稲造以来広められているが、フェアなかっこよさのような、正義心を伝える意味があるので、広く世間の理解を得られる教養が必要不可欠とされているものです。度量あるいは、多くの人々を受け入れるために、教えるべき強い精神性を養い保ち発信するなど、人としてあるべき姿の体現者たるゆえんである方法を説いているとも言えると感じます。明かりの向こう側に辿り着くために人生はあるのだと考えます。希望と夢をもって生きていると信じて前へ進みましょう。