毛深さに病んでいる若者と北海道民について考えます。毛深さに病むとアイヌ人が出てきます。古来北海道には原住民としてアイヌの人々が暮らしていました。彼らは寒い北の大地で漁や狩りを行い外交まで行い、独自の文化を歩んでいました。現在は道南エリアだけが松前藩主として江戸時代より松前城を置いて、アイヌの人が住む蝦夷地で案内役のアイヌを雇い調査をしていた歴史があります。展示室の絵を見るとアイヌの人は体毛が通常の日本人から比べると異常に濃い姿で、顔まで密集した毛で覆われており、容姿もイカつい感じで特殊でした。北海道の地に降りると空気も澄んでいて、アイヌの人が暮らしていた名残りが、ところどころに残っており、後から移住して住んでいる日本人との関係性で弊害のある実態があります。東北地方にもかつてアイヌ民族は住んでいたとされていますが、基本は北海道がベースになっています。伝承が多く、山の名前とまちの名前や川の名前など地名が殆どがアイヌ語の語源を変えて作られています。女性はメノコと言われ顔の掘りが深いとされいて、若いうちは垢ぬけていると聞いたことがあります。垢ぬけるとは、色白で綺麗な容姿であるという意味ですが、骨格が多少ごつそうです。つまりゴツイ人=アイヌという印象に強い意味があるわけです。
本州で古い家柄は日本の歴史として世界に発信していますが、北海道の古い歴史はアイヌ文化があって、明治以降入植開拓後からの日本の歴史なので本州の先にある継続とも言えるが、現代史においては限りなく現代文明だけで開拓されてきた歴史や文化は、学問でしか日本古来からの歴史を考えにくく、北海道史において日本史は道南方面をはぶくと西洋からの近代文明からのスタートと言えるのです。
大正時代に出来た札幌農学校っから始まる北海道大学は主に札幌市中心の国の機関で作り上げた歴史であります。地方都市は、民間の武家の家柄が新天地の企業を目論んで開拓を進めてきた歴史があります。つまり北海道の地方の国立大学は街が出来てから来た機関です。
厳正な国の機関として送る北海道大学と民間に寄り添って成り立つ地方の国立大学という違いが一般企業へ及ぼす経済効果は、実情として厳しい社会基盤があり、生き残る会社とは需要のあるところで、暮らすに特化した業界が一般的で、国立の工業大学の意味が北海道の厳しい民間企業を支える存在になっているように感じますが、国立高専もあれば各地域に工業高校もあるので、作業員までは不自由しないだけの人材を確保できる北海道があります。結果として、大学進学者の多くは本州に行くのが普通になっていると考えています。北海道の発展が、まだ途中であり完成していないという意味で、大学まで進学すると完成された収入の安定した人でなければいけないという徹底した社会基盤が構築されていると感じています。北海道を出ても、北海道での暮らし以上が期待出来なければ大学まで進学した意味がないものとなってしまうので、必然的に必死になるわけです。人生、上手く行かないと悩むと考えますが、絶対上手くいくと信じて生き抜くことは、責任と勤めなど生きる基準として受け止めています。
アイヌ文化は日本において貴重な違う原住民の存在であり、観光資源になっているので、尊重され理解しておくとアイヌが必死な土地柄だということがわかります。原種のアイヌ人は現存していないように感じますが、私が小学生の頃一度日勝峠の日高の土産店に並ぶ民芸品店の店員達家族が純正のアイヌ人だったのをおぼろげに記憶しています。気性は荒く、汚く臭いと聞いていますが、普通の店員ではありました。外見は丁度ハリウッド映画に登場するスターウォーズのチューバッカに似ている感じです。身長も高く大柄で、雄大ですが、未知なるものとの遭遇と感じ北海道の広さを感じ取ったのを覚えています。
図書館に行けば資料も豊富にありますが、写真が残っているかどうかです。ヒマラヤ山脈の雪男orイェティに似た外見級の原種アイヌはかつて北海道に住んでいたと考えるとUMAはアイヌだったとすれば、世界の謎が一つ解決したことになります。
源義経も弁慶と共に北海道にかつて点在していて移り住んでいたという話も随所に残されていて、最後にチンギスカンとしてモンゴルに旅立ったと記す書物があったとされています。中には金田一京助の歌碑も二風谷ダムのあるエリアを訪れて見つけました。
二風谷にはアイヌの博物館もあり、訪れると不思議な世界観があります。アイヌと山、そして暮らし。手つかずの時代からのアイヌは摩訶不思議な呪術使いであったり、王様もいたり、コロボックルとの戦争、壁画の小さな精霊など、大地の中に精霊を宿しているとしているなど儀式が色々あり、特殊であるのは間違いないです。正しい知識を学び、くれぐれもアイヌのことで悩まない様にご注意下さい。