京都では歩きながら本を読む人を多く見ました。本好きな人が多いのでしょう。歴史ある文献を読み解いて、日本の知られざる歴史に興味を向ける人がいるのです。おのずと知識は身に付いていくと、総人口の中で相乗効果を得られて優秀になっていくように感じることがあります。国語というものは思い出してみると、基本は楽しむもので、話の内容を紐解いていく読み方をする方法を学ぶものです。古典は苦手だったので、ひらがなばかりで意味が全くわからず。一つの単語位に考えて翻訳しなければならないのが、同じ日本の歴史でも全く日本語が現代とは異なっていて、平安時代はひらがな言葉で話していたのか難しく感じるが、内容をみるとお色気話や、情緒、風情などの文化ともいうべきか、古い日本の伝統というものを築いている最中だったのでしょう。

戦いの歴史だけが、しっかりと国を作っているのは残念ですが、勇ましさに崇拝するしかない。国が発展するために必要な事だったのでしょう。京都は建物からも歴史をたくさん感じれるところなので、国語を考えるのに適した環境であると感じます。人間ドラマといえば平安時代の藤原一族なのでしょうか。二条城などにいくと特に人形もおいてありリアリティがあります。たまに、赤本などを見ると面白い国語の問題があったりするので読みたくなるのですが、内容が人生の参考書ともいうべきもので、実際に苦労せずとも歴史人物の苦労話からの学びで解決できるくらい人間を分かっていると自負するのにはいい学問です。日々学びが足りないために何かしら人は悩むのだと考えます。病気にしても勉強にしても社会にしても何にしても探せばいい本はあるものです。見つけさえすれ楽しくて読みふけってしまうものです。

京都図書館には一度行ったことがありますが、厳格な建物でしっかりと読める空気感が脳に迷いをなくし精神を集中して本を読むのにいいですし、気が散って「軽いうつ」になってしまった人も、どこでもいいですが図書館に行くという事は、家で読むのと異なって精神を集中することを取り戻せるであろうと考えられる。習慣にしてしまえば、通いやすくなるもので図書館を居場所にしてしまえば、家の空気もある程度改善されてくるものです。本の趣味は人それぞれ違うので発見があると感じますが、実際に大学までいっていると専門書の領域だと歴然の違いがあると考えます。私などは紐解けないような科学書をあえてむりやり読むこともありますが、もし分かれば楽しいのにと考えて読んでいる。本とコーヒー。昼に喫茶店でゆっくりとして脳にカフェインを入れる事で交感神経を高めて集中力が上げる。決まって大抵は定番になっている。学びの人生は、人にとって必要不可欠であると同時に知的好奇心を埋める大切な行動であると考えます。

知力があがれば、人間性も豊かになってゆき、持続して継続することが大事です。脳の働きも格段に上がってくると、話す言葉の力が変化してきて、しっかりと人に話すときに成果が出てくるものです。脳みそにはシナプスや微弱な電気信号でつながりながら連携して強力に網羅するくらい反復していくと、条件反射的に思考回路が働きとっさの判断で物事を認識して機能してくるので、自身に必要だと考える内容の記事やニュースには入念にチェックして、リアルタイムで進む現代社会に後れを取らない様に情報を収集して、多角的に反映している人間社会の膨大なネットワークの中で常に新しい情報を理解していかねばならない社会は確かに、忙しくとも大変な状態なのかもしれません。

行動には時間とお金が伴うもので、忙しすぎる社会人は携帯電話端末からの情報を駆使して生きていかねばなりません。「軽いうつ」は休養が必要になるものですが、しっかりとした頭の整理整頓ができて初めて機能するものではあるので、交感神経で興奮してしまった状態から自律神経までに悪影響を与えるに至るという事は、本能部分が出過ぎて理性が機能しずらい状態に陥ってしまっているとも考えられる。打開策は反対で副交感神経を強化して常にリラックスできるようにしていかねばならない。だから国語は大事なのだと考えている。

的確な言葉を的確に発することは、敵対心でもなんでもなく人間本来の尊重されるべき姿であります。気になる事は、ネットで流すが、紙に書いて貼っておくといいのかもしれない。忘れない様に覚えておけば、記憶の中で解決していく事もあります。吸収する側の人間か放出する側の人間か。二つに一つです。少なからず有名な本は、一通り読んでおいたら世間というものは、ある程度無言の中で共感しているものです。すると次第に悩みはなくなり、黙々と本を読みぬく勇敢な人物へと成長している事でしょう。寝る前の読書は安眠効果も高まり、記憶の定着にもなるので、脳に良く身体にも良い事でしょう。温かい飲み物。たとえばハチミツなどをお湯に入れて飲むと身体もあたたまり、神経系がほぐれていくように感じるものです。実践と経験は次第に、気が付きを与え自己制御を成し遂げながら、上手に自律神経の損失や悩みを解消して暮らしている自身が創造出来れば為せば成るでしょう。