自動車を運転することはありますか。「軽いうつ病」であっても、若いころ私は、運転が楽しくて仕事を終えて帰ってくるたびに関東中を住んでいる半径数十キロメートル以内でいろいろな場所をただひたすら走り抜けて、横切る景色を楽しんでいました。最初は自転車で隣町まで、知らない街を進み冒険していました。ネットカフェ、食事をする店、スロットなどをするのに出かける毎日でしたが、半年が過ぎて現場のOJTが始まりドコモの現場代理人の業務でしたが、忙しい毎日で6時30分出勤の会社到着や現地到着で朝が早く大変に感じましたが規則正しくとも帰りが夕方20時頃終了でアパートに着いたら21時頃だったりで埼玉に暮らしていました。車はムーブで当時、元は同じ会社の社員だった人が会社を一度辞めて下請けの業者としてハイエースで請け負って施工を行う一人社長で働く人の知り合いの町工場で2台ありました。1台はギアがクリスタルのステージアでしたが最初に乗る車としては馬力があって危ないといわれてもう一台の軽自動車の39万円ほどのムーブを一括の支払いで購入していました。保険は1年単位のアクサダイレクトに10万円でインターネットで加入しました。駐車場が高く、1カ月4万円もするアパートの前にある駐車場に停めていました。家賃が会社の借り上げで安く住めたので、トータルでそこそこの家賃位で住んでいる状態でいました。会社からは1駅隣街の地下鉄のある便利なところに住んでいたので、東京へも出かけやすく栄えてきている街でしたので、充実しているところではありました。職場の拘束時間は長く感じますが、仕事柄車の同行でいろんなところに出かけていたので、移動時間が長く、作業も15時ころまでかかることもあったので、知らない街で働く新鮮さはありましたが、携帯電話の基地局工事の施工は高度で興味深くもあり、疲れもでるものでした。年齢が22歳位でしたので、多少眠れば回復はしていましたが、気分は最初のうちはどんよりした状態でした。夜中2時くらいまで自動車で走りまくっていたので、ストレス発散としては十分すぎるくらい運転が爽快に感じていました。寝るのは午前3時位で朝5時起床で何カ月が過ごしていたのです。今の私では真似できないです。先輩社員の人は、もっと遠くの千葉県から通っていたので朝出る時間は相当は早い毎日を送っているのです。部長からは先輩社員と同じ町に住んだらいいのではないかと提案されていましたが、通う自信がなくて隣町までにして住んでいたのです。先輩社員も自動車好きで東北出身の人で一人はチェイサー、一人はレガシィツーリングワゴンに乗っていて、デフで固めて回りにくいという仕様のレーシングカータイプに乗っているなど詳しい話を聞く毎日でした。給与は自動車に投資する人たちで、運転が好きで運転の多い仕事であるという中で仕事は進んでいました。チェイサーの人はエルグランドとスズキのジムニーに換えた人でして、都会に来てから変わっていったようです。工事長も新車で当時ゴールドカラーの自動ドア付きのアルファードを購入して自慢して見せてくれていました。仕事柄大きな車を乗りこなさなければならなかったので、運転レベルを上げるためにも大きめの自動車を購入する傾向にあったようです。私が購入に至った紹介者も昔は10台もの自動車を保有してる相当な車オタクの人だと自負している人でした。仕事が最近は減ったのか、ハイエースを軽トラに乗り換えて節約をするという時期で、それでもエンジン、内装、ホイールの改造で、確か60万円ほど費用が掛かったという話をしていたのを覚えています。夜通し施工で働いて給与もあって自動車愛好家として生きがいをもって生きている人で、親がいないで育った人だったと聞いて苦労人だという事をしりました。結婚はされている人で、当時37歳程の人でタフにイキで生きて働く個人業者でした。現場と言ってもドコモの仕事だったので楽しいと言っていました。冬の寒い時も先輩社員たちは、こんな時こそ笑って乗り越えようぜと言っていたのは、自分だけが大変ではないと教えられました。ガツガツしている人たちだったので、メンタルが不安定でしたが、OJTを1カ月くらいして、霧が晴れたように「軽いうつ病」は抜けて行くようにスッキリとしていきました。
最後に39万円で買ったムーブは九州出身の会社の後輩に貸すこともありました。都内近郊で車を持つという事は駐車場料金もかかり維持費に苦労を感じました。ただ、普段歩いても行けないようなところへ走らせるか喜びはかけがいのないものでした。会社を去るときにガリバーに査定してもらうと、エンジンが巻き上げてあったようで、4万5千キロメートルほどの走行距離が実際は10万キロメートルオーバーの自動車であったことが発覚して売値はたったの3万円程でした。1年以内で手放すには価格の下がり方が半端ないものに感じました。それでも売ることに決めて手放してしまいました。大宮ナンバーでしたが、懐かしい思い出のムーブです。