これは、人それぞれ違いがあるのですが、軽いうつ病と診断されたことがある人の原因や、過程、行動、結果を順に見直す事で参考になればと考えています。ちなみに私自身がかつて新入社員時代に軽いうつ病と診断されて最終的に治った者です。そもそも、「悩み」と「考える」の違いは何か分かりますか。天気が悪いとうつになり、体の気分が悪いとうつになり、「うつな気分」はあなたを一生その状態のままにしておきますか。だから人は気分転換をもくろみ、自由を手にしようとあがくのだと私は考えます。そうできなければある意味ではうつな状態ではあると思います。バランスと休養が大事なのが世間です。それが人それぞれ貧富の差で違いが生じているために起こり得ている現象がうつなど含めた災難や厄難、災害などに転じているようにも感じます。人が災害を起こしている!そんな心境の時もあります。因みに「悩み」という意味を国語辞書で調べてみるのが良いと思いますが、【精神的な悩み】【身体の不調】などがありますので、分析は専門の精神科医、内科医の分野になると思いますので、興味があるのでしたら精神科医に話を聞いてみるのも一つの方法です。考えても答えが出ない事を悩みと言うと、そのまま放っておくと「うつ」という病気になってしまう事があるのです。治すには世代や個人差はあると考えますが、故郷の自分を見つめ直して自分ひとりの力では難しく苦悩せず、複数で考えるようにすることです。考えても答えが出ないときは諦める。あるいは、そうなる前に人に相談するか調べるなどして解決するしかないでしょう。正常ならまずは気分転換、ただし追い詰められて逃げ道もなく悩むしかなくなった時、自力で解決するには方法を模索、周囲の状態を分析、今自分が置かれている状態を冷静に考えた上で正規の状態に戻す、あるいは正規の状態に自分を持っていくしか解決策はありません。つまり、自分にとっていい状態の習慣を体に覚えこますしかないです。例えば、生活習慣の見直し、限りなく自然に合わせた状態で矯正的に正す、心に不快感のない状態で脳を治すことです。ここからは、私自身の事例を挙げます。まず初めに原因は世間を知るための苦労(アルバイト)をせずに単身東京にて新卒正社員の就職で右も左もわからずに上京していたため、本人は必至だが、話をする対象がいなく自分ひとりで考えすぎていた事が一番の問題点だったと考えています。しかも会社の人間関係も建設会社の現場代理人で周囲の人間はいいとしても直接の上司が工業高校出身で地元東京人の上、15歳年上だったとう事は年齢差もあり、経験さもある中で、体格差、学歴差、AB型の二重人格、地元東京人(足立区)池田修三という男で、かなり気性の激しい者で正気ではない言動が毎日飛び交っている現場工事長です。私がその事業所を去るころには課長の話が入り、遅めの出世をしていたようではあります。会社としては残業があり、休日出社も日曜日以外ははあり、東京にしては月給は安いが賞与でなんとか凌ぐ会社で、体にはいいようだがハードな職場で、毎日埼玉中心で途方に暮れながら先輩社員(年齢が1つ上の工業高校卒、2つ上の高専卒)の横に乗り、知らない街を車で走り抜けます。朝6時30分に出社して現場に向かい、炎天下の中で高いビルの屋上などの危険個所での作業の仕事が多くあり、神経の緊張感も高くなる状況で生活していて、とにかく自分の時間の確保が難しい状況の中、仕事を覚えるのに苦労していた事が原因で、悩みすぎていた事から当時埼玉県の精神科を診察したところ大量の薬を貰いました。母は一切薬には手を出すなと言っていたので守りましたが、会社にも鬱の事を言ってしまったのが人間関係上よくなかったと思いますが、部長からも心配されその後1年半いた事務所が3年くらいいるという話が短縮されてしまいました。その後、配属替えで東京に3カ月通った後、横浜に代わり最初にいた社宅に移りました。ここで気づくことは住む場所や建物、そこにいる住人との関係からの影響もかなりあるということです。横浜に配属になった私は忙しさのあまり、賞与や決算手当も受け取り、悩みも消えていました。そんな中、東京事業所にまた戻るという通知がきて、そのあとは大阪になる可能性があるという話も聞いて、転職を決意しました。うつで回る社内の人間関係が嫌で新規一転を考え、私は雑念を取り払う術を探しました。新卒の現場仕事での東京を3年位は会社にいようと考えて就職した職場でしたので、かなりの胸に来る決意ではありましたが、脳みその中の嫌な不安感を消し去ることが全部だと思い、未来を考える上でベストな選択だと当時は考えてのことでした。人生は繰り返しの連続な気もしますが、その過程があったのだから踏みとどまり、自分を見つめなおし同じ失敗はないように進むはずです。しかしうつと言うものはきちんとした病気です。そうしたくてもそうできない、そうじゃないのにそうなる。悔しさの多い感情の混み上げる病気です。脳がその状態でがんじがらめになってしまっている状態です。それにいち早く気づき、環境を変えて、元ある自分の本当の望む姿を目指して進むことが一番であり、家族の協力、人生の決断、世間に自分を望む状態で発信することを取り戻すことが大事です。つまり、自分が子供のころ思い描いた未来に挑戦し、あるいは自分が思うよりもっと上の世界にチャレンジしての結果であれば、人はそれを称賛したたえるのであって悩みにはならないのです。うつにならないためにはこの取り組みが重要です。安定を望むのであればこの向こう側です。高学歴で解決、人のつながりや工夫、資格、様々な道があり人それぞれ自分の環境をよくする方法はあります。簡潔に言ってしまえば、知的生命である私たち人類は常に高みを目指し、最上位を目指し続け進化し続けなければ病気になるというサイクルが人間の本心であることを受け入れなければならないということです。モチベーションが高みで維持できているのであれば何も心配はありません。実際は一生自分が働けるであろう場所や仕事内容の確保、環境を考えて就職するのが正しいのだとは思います。言いたいことはショック療法だと考えて東京の会社に飛び込んで夢だ仕事だお金だ!そして人間だと発散しきって生き抜いた私は、後に一番の悩みであった軽いうつという名前の霧は晴れていったということです。因みに音楽は人を救います。曲によるかもしれませんが、当時よくヘッドフォンで音楽を聴いて日常生活を送っていました。