紅葉の季節になり、散歩しながら葉の色の変化を楽しむことができるように気持ちに彩りを着せてくれるように錯覚するものです。紅葉と言えば京都まで見に行く人もいると思います。ぎゅうぎゅうになった頭の中を、ほぐす意味でも自然の揺らぎの中に身を置く事で感じ取れる心境は、心身共に自然治癒力のなせる力を感じるものです。自由気ままに心の思うがままに、歩き黄昏、ふと見る落ち葉や木々の葉がとても美しく感じるものです。日本の家屋と街並みは紅葉との風潮がとても良く合うもので、日本でも唯一の戦争を経て、残された都というものは、日本人本来の気持ちを取り戻させてくれるものです。京都の寺と街はどこに行ってもやすらげる作りになっていて、歩くにはもってこいの街です。端から端まで歩いても、物珍しくもっと見てみたいと感じるところばかりです。私自身、行ったことがある場所は、太秦、広隆寺、二条城、金閣寺、銀閣寺、嵐山、比叡山、宇治、清水寺、南禅寺など一つ一つの名所にクオリティを感じるものです。一時的に住んだことがあるのが太秦で、近隣を散歩したり、折り畳み自転車を購入して冒険してみたり、京都ならではのマクドナルドを含めた建物のカラーの気遣い、バスの中のプライバシーガラスは、全てにおいて観光要素が盛りだくさんです。歴史に詳しい人は、当時の状況を照らし合わせて風景を見ると、リアリティがあって面白いものと考えますが、多少は知っているくらいで、改めて歴史の勉強をしたいと感じてくるので教養が養われていく気分に助けられる感じがします。教科書にも載っていない場所もあったりするので、少しずつ街を歩くたびに詳しくなっていく気分に高揚感があります。京都には地下鉄もありますし、JRも走っているので、さらにバスを上手に使えば、町中見放題です。しかし、参拝料が1つのお寺当たり500円位はかかるので、費用面を考えると、気にかかる面もありますが見れるときに見ておこうと私は、たくさん見た気がします。
京都に行けば、ゆばが有名です。一杯1000円の抹茶と和菓子のコラボは絶品の域です。茶菓子店の飲食場は和風庭園のある静かな場所でゆっくり頂く様は休まる事間違いなしで自律神経の大変さを忘れさせてくれるものとなるでしょう。伝統工芸品も多く、狭い路地の長く続く商店街を歩くと様々なものが売られていて目を奪います。京都の漬物は京野菜で作られていて、とても良質な味わいの歴史あるあっさりとした体にやさしい感じがする漬物だったのを覚えている。京都嵐山の紅葉は展望がよく山々の色彩が良く見えて気で作られた橋からみると全貌がわかる。京都タワーまで行くと大阪のビル群まで見える高さですが、最初に行くと京都の全体が見渡せるのでよいのかもしれないです。京都駅はリニューアルされ、天国へ続く階段なるものがあり、登ってみると楽しいです。スケールがあり広々として首都といったオーラを感じます。新幹線もあり、空港はないのですが、利便性の良さは快適さをふんだんに感じさせてくれる。哲学の道を歩くのが好きな私でしたが、京都大学と京都動物園があり、風景のよさに、ついつい歩いてしまう道は平和を感じるものです。立ち寄った店で食事をして、また歩く。歩きたくなるから自然と無理なくダイエットにもなり健康になっていく街である。いろんな角度から京都を見て、気に入った建物でとる写真は、また素晴らしいものです。最近はカメラの技術も進歩して、一眼レフのレンズ性能を超えて、半導体による補正技術と手振れ防止など便利な編集機能が膨大に装備されているので、どのような環境や光の入り方であっても綺麗に、かつ鮮やかに撮影出来てしまうでしょう。家に引き伸ばした写真を額縁に入れて飾っておくといつも止まったままの秋の紅葉のある京都らしさの良く映し出された神秘を抑えてヒーリング効果に浸る事ができるようになります。個人的にはニコンのメーカーが好きでしたが、SONYは最近、やはり技術力が高い分高画質で撮影できるものかと考えるようになりました。未だに買えていませんが、欲しいものではあります。とある大阪の理容室で聞いたことのある話ですが、いい写真をとあるサイトに投稿すると、ある程度の価格で購入してくれるところがあると聞いたのですが、当時良いカメラもなかったので適当に聞いていました。良いカメラを一つ持っていると近畿地方もそうですが、何かと意義のある散歩になるのではないでしょうか。最近はInstagramとかに投稿する人が大抵なんだと思いますが、情景を伝えるのに美しい写真があるとイメージが湧いて良いのかと、考える時があります。考えて見れば京都で犬を連れて散歩している人を、あまり見た事がありません。なぜでしょうか。不謹慎に感じるからですか。京都は古くは首都で、歴史ある首都。国際的に日本を伝えるところでもあります。帝国大学第2位の京都大学医学部がある京都は、人々の士気が高く高等に感じるところであります。秩序とモラルという意味では東京を遥かにしのぐ街であると感じている。